2007年1月9日、サンフランシスコで開かれたMacworld Conference & Expo。黒いタートルネックにジーンズ姿のスティーブ・ジョブズはステージに立ち、ひとつの新しい製品を発表しました。電話であり、音楽プレーヤーであり、インターネットにつながる端末でもある。それらをひとつにした製品を、Appleは「iPhone」と名づけました。
この発表は、今ではジョブズを象徴する場面のひとつになっています。しかし、このとき彼ががんと診断されてから、すでに3年以上が経っていました。
さらに3年後の2010年、ジョブズは再びステージに立ち、今度はiPadを発表します。翌2011年、56歳で亡くなりました。
私たちはスティーブ・ジョブズを、Appleを創業し、Macを世に送り出し、iPhoneやiPadの時代をつくった人物として知っています。でも、その人生を「がんと診断される前」と「診断された後」に分けてみると、少し違った景色が見えてきます。
2003年に膵臓の腫瘍が見つかったとき、iPhoneもiPadもまだこの世にはありませんでした。
そこから亡くなるまで、およそ8年。ジョブズは治療を迷い、手術を受け、仕事に戻り、病状が悪化すると仕事を人に任せ、肝移植を受け、再びステージに立ち、最後には自らCEOという役割を手放しました。
その間にも、仕事や家族との生活があり、以前から大切にしていた思想や、日本への関心がありました。
2003年、膵臓に見つかった腫瘍
2003年10月、腹部の検査を受けたジョブズの膵臓に腫瘍が見つかりました。生検の結果、それは膵神経内分泌腫瘍(pNET)という、比較的まれなタイプの腫瘍でした。
ここは、ジョブズについての記事を読むうえで重要なところです。「スティーブ・ジョブズは膵臓がんになって8年間生きた」という話だけが一人歩きすると、一般的な膵臓がんについて誤った印象を与える可能性があるからです。
米国国立がん研究所(NCI)によると、膵神経内分泌腫瘍は、膵臓のホルモンを作る内分泌細胞から発生する腫瘍です。膵臓にできる腫瘍のうち約1〜2%を占め、一般に「膵臓がん」として知られる膵管腺がんとは、性質も治療方法も経過も異なります。神経内分泌腫瘍の中にもさまざまなタイプがあり、すべてが同じ経過をたどるわけではありません。
ジョブズ自身も2004年、手術後に社員へ送ったメールで、自分の腫瘍は一般的な膵臓がんとは異なる、まれな神経内分泌腫瘍だったと説明しています。
しかし、診断されてすぐに手術を受けたわけではありませんでした。
手術を受けるまでの9か月
ジョブズは診断後、約9か月にわたって手術を受けず、食事療法などを試したとされています。2008年に『Fortune』が関係者への取材をもとに報じ、死後には公式伝記を書いたウォルター・アイザックソンも、ジョブズ本人から聞いた話としてこの時期について語っています。
アイザックソンによれば、ジョブズは身体を切り開かれることに抵抗を感じていました。家族や周囲は手術を受けるよう説得し、後年、ジョブズ自身も手術をもっと早く受けなかったことを後悔していたといいます。
この9か月は、ジョブズの死後、繰り返し取り上げられることになります。「代替療法を選んだから命を縮めた」「すぐに手術していれば助かったはずだ」という議論です。
しかし、そこまでを事実として断定することはできません。手術を遅らせたことが、その後の病状にどの程度影響したのかは分かっていません。公開されている病理や画像などの情報にも限界があり、後から外部の人間が「9か月の遅れが最終的な死を決定した」と証明することはできません。
一方で、当時すでに手術可能な膵神経内分泌腫瘍に対して、手術が重要な治療だったことも無視できません。食事療法などの代替療法によって腫瘍を治療できるという確かな根拠はなく、ジョブズの選択を「代替療法でも大丈夫だった」という話にするのも適切ではありません。
ジョブズの判断を美化する必要も、結果を知っている後世の側から愚かな患者として描く必要もないでしょう。がんと告げられたとき、できれば身体を切りたくない、もっと負担の少ない方法がないだろうかと探す人は、ジョブズ以外にもいます。
2004年7月31日、ジョブズは腫瘍を摘出する手術を受けました。翌日、社員に自ら病気を知らせ、8月を療養にあて、9月には仕事へ戻る予定だと伝えています。その間の日常業務を任されたのが、後にAppleのCEOとなるティム・クックでした。
ジョブズと日本。禅、ものづくり、京都
ジョブズの人生を語るとき、がんと並んでしばしば登場するものがあります。
禅です。
若いころのジョブズはインドを旅し、東洋の思想に強い関心を持つようになりました。帰国後はカリフォルニアの禅センターに通い、日本の曹洞宗の僧侶・乙川弘文と長く交流しています。1991年にローレン・パウエルと結婚した際には、乙川が結婚式を執り行いました。
公式伝記でも、ジョブズはインドでの経験や禅が自分に与えた影響について語っています。物事を論理的に分析するだけでなく、直感によって理解することを重視するようになったのも、こうした経験と関係していたといいます。
ただし、ジョブズと日本の関係は、禅だけではありませんでした。
彼は日本のものづくりや工芸にも強い関心を持っていました。ソニーの共同創業者・盛田昭夫を尊敬し、ソニーの製品や経営から学ぼうとしていたことも知られています。ジョブズのトレードマークとなった黒いタートルネックも、日本のデザイナー・三宅一生によるものでした。
そのきっかけには、ソニーの工場で見た従業員の制服があったといわれています。ジョブズはAppleでも社員が共通の服を着ることを考えましたが、社内では歓迎されませんでした。結局、自分自身が同じデザインの服を何百着も注文し、着続けるようになったのです。
日本の工芸品への関心も深いものでした。富山県の陶芸家・釈永由紀夫の作品を京都のギャラリーで見つけ、滞在中に何度も足を運んで購入したという話が残っています。帰国後も電話やFAXで作品を注文していたといいます。
京都は、ジョブズが私生活でも繰り返し訪れた場所でした。老舗旅館の俵屋を定宿にし、寺院や庭園を訪ねていたことが伝えられています。病気になった後も子どもたちを連れて京都を訪れ、特に西芳寺、いわゆる苔寺を好んでいたとされています。
こうした関心を、すべてApple製品のデザインに結びつけることはできません。Appleの製品は、多くのデザイナーや技術者が関わり、さまざまな思想や技術の影響を受けて生まれたものです。
それでも、禅だけでなく、工芸、建築、庭園、服飾、企業のものづくりに至るまで、ジョブズが日本の文化に関心を持ち続けていたことは、彼の人物像を知るうえで興味深いところです。
がんになる前から、ジョブズは「死」を考えていた
ジョブズが禅に関心を持っていたことと、もうひとつ関係するのが、彼の死生観です。
1995年4月、まだがんと診断される8年以上前、ジョブズはSmithsonianの口述インタビューで、すでに死について語っています。
その中で彼は、死によって古いものが去り、新しい世代が世界を先入観なく見る余地が生まれるという考えを示しました。そして、死は生命にとって最大の発明だと以前から考えてきた、と話しています。
これは、病気を経験した人が後から振り返って語った言葉ではありません。1995年当時のジョブズは、Appleを離れ、NeXTやPixarに関わっていた時期でした。
さらに本人によれば、17歳ごろに「毎日を人生最後の日のように生きれば、いつかその通りになる」という言葉に出会い、その後何十年も、朝になると鏡を見ながら、もし今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることを本当にやりたいだろうかと自問してきたといいます。
ジョブズにとって死を意識することは、単に人生の終わりを考えることではなく、日々の選択を見直すための方法でもあったのでしょう。
つまり、後に有名になるジョブズの死生観は、がんになったことで突然生まれたものではありませんでした。
ただし、死について考えることと、自分自身が実際に病気になることは、同じではありません。2003年に膵臓の腫瘍が見つかったとき、ジョブズは長年考えてきた問題に、患者として向き合うことになりました。
スタンフォードで語ったこと
手術から1年ほどがたった2005年6月12日、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式に招かれました。
この日のスピーチで、彼は三つの話をしました。「点と点をつなぐこと」「愛と喪失」、そして最後が「死」でした。
ジョブズは学生たちに、自分の膵臓に腫瘍が見つかった日のことを語りました。当初は治療の難しいタイプのがんだと考えられ、余命は数か月かもしれないと告げられたこと。その後の生検によって、手術可能なまれなタイプだと分かったこと。そして手術を受けたことを振り返ります。
ただし、このスピーチでは、診断から手術まで約9か月あったことや、その間に食事療法などを試していたことには触れていませんでした。ジョブズ自身が公の場で語った病気の経験と、後に取材や伝記によって明らかになった経緯には、違いがあります。
スピーチの中で興味深いのは、死についての考え方です。
ジョブズは、がんになる前から死を意識して生きてきたと語りながら、実際に死に直面する経験は、それまで頭で考えていたこととは違ったと説明しています。死は誰にも避けられないという考えを、以前よりも強く実感するようになったというのです。
そして学生たちに、人生の時間には限りがあること、他人の人生を生きるためにその時間を使わないこと、自分の心と直感に従う勇気を持つことを語りました。
がんがジョブズにまったく新しい人生哲学を与えたわけではありません。むしろ、何十年も考えてきた「死」と「限られた時間」という問題を、自分自身の経験を通じて語るようになったと見ることができます。
このスピーチは、ジョブズの死後も広く知られることになります。しかし、2005年の時点では、彼はまだAppleのCEOとして働いていました。
そして、その約1年半後に発表する製品が、世界中の人々の生活を大きく変えることになります。
がんの診断から3年余り。iPhoneを発表する
2007年1月9日、ジョブズは再び大きなステージに立ちます。
この記事の冒頭に登場した、iPhoneの発表です。
AppleはiPhoneを、携帯電話、ワイドスクリーンのiPod、インターネット通信機器をひとつにした製品として発表しました。指で画面を操作するマルチタッチのインターフェースは、それまでの携帯電話とは大きく異なるものでした。
がんが見つかった2003年には存在していなかった製品が、診断から3年余り後、ジョブズ自身によって発表されたのです。
ただし、ジョブズが一人でiPhoneをつくったわけではありません。Appleにはデザイナー、エンジニア、ソフトウェア開発者など、多くの人々が関わっていました。ジョブズは、その開発を率い、製品を世に送り出す役割を担っていました。
この時期のジョブズは、外から見る限り、Appleの経営者として精力的に活動していました。しかし、その後の健康状態は決して安定していたわけではありません。
2008年ごろになると、ジョブズの著しい体重減少が公の場でも注目されるようになります。2009年1月5日、ジョブズはAppleのコミュニティーに宛てた手紙で、体重減少の原因について医師からホルモンの不均衡と説明されたこと、健康を取り戻すことを最優先にすると発表しました。
ところが9日後の1月14日、状況が変わります。
健康上の問題は自分が考えていたより複雑だったとして、6月末まで医療休職することを発表したのです。日常業務はティム・クックに任せ、自分はCEOのまま重要な戦略判断には関与するとしました。
2004年の手術後に続き、再びクックが日常業務を担うことになりました。ジョブズは会社を離れるのではなく、療養しながら、できる範囲で経営に関わる道を選んだのです。
2009年、肝移植と仕事への復帰
2009年、ジョブズはテネシー州メンフィスで肝移植を受けました。
移植を行った病院は本人の許可を得て、ジョブズが通常の移植評価を受け、移植待機リストに登録され、提供肝が利用可能になった時点で基準に従って移植を受けたと公表しています。
一方で、著名で経済的にも恵まれた患者が遠方で移植を受けたことについて、当時は移植医療の公平性をめぐる議論もありました。病院は手続きが規則に沿って行われたと説明していますが、ジョブズの移植をめぐって議論が起きたことも、この出来事の一部です。
6月末には仕事へ復帰しました。ただし、以前とまったく同じ働き方ではなく、Appleのオフィスへ行くのは週に数日、残りは自宅で仕事をするという形でした。
そして9月9日、ジョブズは長い休職のあと、初めて公のステージへ戻ります。
観客からスタンディングオベーションを受けたジョブズは、そこで初めて、自分が約5か月前に肝移植を受けたことを自ら話しました。提供された肝臓は、交通事故で亡くなった20代の人からのものだったと説明し、その人が臓器を提供してくれなければ自分はここにいなかった、と語っています。そして観客にも臓器提供について考えてほしいと呼びかけました。
2005年のスタンフォードでは、自分自身の死の可能性について語っていたジョブズが、2009年には、他者から提供された臓器によって命をつないだ経験を話していました。
同じステージでジョブズは、自分の不在中に会社を支えたティム・クックとAppleの経営陣にも感謝しています。
病気になる前のジョブズは、製品の細部にまで強いこだわりを持ち、会社のあらゆる判断に関わろうとする経営者として知られていました。しかし、この時期には、自分が不在でも会社が動き続ける体制が必要になっていました。
そして、iPadが生まれた
肝移植から約9か月後の2010年1月27日、ジョブズはまたステージに立っていました。
今度、手にしていたのはiPadです。
AppleはiPadを、ウェブ、メール、写真、動画、音楽、ゲーム、電子書籍などを扱う、新しいカテゴリーの端末として発表しました。
2003年に膵臓の腫瘍が見つかったとき、iPhoneもiPadもまだ存在していませんでした。ジョブズはその後、手術と療養を経験し、2007年にiPhoneを発表しました。そして肝移植と長期の休職を経て、2010年にはiPadを発表したのです。
もちろん、これは「がんになっても働き続けるべきだ」という話ではありません。iPhoneもiPadもジョブズ一人がつくったものではなく、多くの人が関わったAppleという組織の仕事です。そしてジョブズ自身も、この8年間ずっと同じように働き続けていたわけではありません。
休職し、日常業務を人に任せ、働き方を変えながら、会社の仕事に関わり続けていました。
最後の休職、そしてCEO辞任
2011年1月17日、ジョブズは再び医療休職に入りました。
このときもCEOには留まり、重要な戦略判断には関与する一方、日常業務はティム・クックに任せました。社員へのメールには、Appleを愛しており、できるだけ早く戻りたいという思いも記されています。
その後も完全に公の場から姿を消したわけではありません。2011年6月にはAppleのWWDCで基調講演に立ち、iOS 5やiCloudなどを発表しています。
しかし、その約2か月後の8月24日、ジョブズはAppleのCEOを辞任しました。
取締役会へ宛てた短い手紙で、彼は以前から、AppleのCEOとして職務と期待に応えられない日が来たら自分から知らせると言ってきたこと、そしてその日が来たと伝えています。後任にはティム・クックを強く推薦し、自分は取締役会会長としてAppleに残ることを希望しました。
2004年、最初の手術を受けたときにも、日常業務を任されたのはティム・クックでした。2009年、半年間休職したときもクックでした。そして2011年、最後にCEOという役割を引き継いだ相手もクックでした。
ジョブズの8年間には、「自分が何をするか」だけでなく、「何を人に任せるか」という選択も繰り返し登場します。
CEOを辞任してから約6週間後の2011年10月5日、スティーブ・ジョブズは56歳で亡くなりました。死亡証明書には、直接の死因として呼吸停止、基礎疾患として転移性の膵神経内分泌腫瘍が記載されています。
ジョブズが生きた、がんの「その先」
ジョブズは1995年、がんになるずっと前から、死によって古いものが去り、新しい世代に場所が譲られるという考えを語っていました。2005年のスタンフォードでは、自分が死ぬことを思い出すことは、人生の大きな選択をするときに重要なものを見分けるための方法だと話しました。
しかし、自分自身が病気になったとき、その哲学がすべての判断を簡単にしてくれたわけではありません。
ジョブズは手術をためらい、食事療法などを試した時期がありました。後に手術を受け、仕事に戻り、再び病気によって休職することになりました。肝移植を受けた後は、臓器を提供してくれた人への感謝を公の場で語っています。
若いころから大切にしていた直感は、仕事や人生の選択に大きな影響を与えたのでしょう。一方、病気の治療では、本人の直感と医学的な判断が必ずしも一致するとは限りません。ジョブズの経験を、直感を信じたから成功したという話にも、直感を信じたから失敗したという話にも、単純にまとめることはできません。
また、ジョブズの人生を仕事だけで語ることもできません。彼には家族との生活があり、長年親しんできた禅や日本文化への関心がありました。病気になった後も京都を訪れ、子どもたちと寺院を巡ったことが伝えられています。
がんと診断された後の時間にも、それまでと変わらず続いていたものがあり、病気によって変わらざるを得なかったものもあったのでしょう。
Appleでの働き方も、そのひとつでした。ジョブズは自ら製品を発表する一方で、休職中には日常業務をティム・クックらに任せ、最後にはCEOの職を引き継ぎました。創業者として会社を率いてきた人物が、自分の役割を少しずつ変えていったことも、この8年間に起きた出来事でした。
2003年に膵臓の腫瘍が見つかったとき、ジョブズは48歳でした。2011年に亡くなるまでの約8年間には、手術、療養、肝移植、休職、仕事への復帰、そしてCEO辞任がありました。
その間に、2005年のスタンフォード大学でのスピーチがあり、2007年にはiPhone、2010年にはiPadが発表されました。いずれも、がんと診断された後の出来事です。
ジョブズは病気を克服して長く生きた人物ではありません。治療の選択をめぐっては、今も議論が残っています。それでも、がんと診断された2003年から亡くなる2011年までの間に、彼が経験し、考え、取り組んだことは数多くありました。
スティーブ・ジョブズの人生は、がんと診断されたところで終わったわけではありませんでした。
参考資料
本人の発言・公式発表
- Apple「iPhoneで携帯電話を再定義」(2007年)
- Apple「iPadを発表」(2010年)
- Stanford University:Steve Jobs 2005 Commencement Address(2005年)
- Smithsonian:1995年スティーブ・ジョブズ口述インタビュー
- Apple:2009年1月14日の医療休職に関する発表
- Apple:2011年1月17日の医療休職に関する発表
- Apple:2011年8月24日のCEO辞任の手紙
病気・人物に関する資料
- 米国国立がん研究所(NCI):膵神経内分泌腫瘍について
- Fortune:The trouble with Steve Jobs(2008年)
- スティーブ・ジョブズと日本|nippon.com
- Steve Jobs and the Rediscovery of Zen|nippon.com
- NHK「日本に憧れ 日本に学ぶ ~スティーブ・ジョブズ ものづくりの原点~」
関連書籍: ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』(公式伝記、2011年原著刊行)







